翔びたくて

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「翔びたくて・・・6」

 真新しい制服を着た子どもとスーツ姿の母親や父親達で園内は賑わっていた。

 園門の前で、桜の木の下で、あちこちでカメラのシャッターがきられる。

クラス発表の名簿が模造紙に大きく書かれ壁に貼ってある。

「い・・い・・・い・し・・は・ら・・ひろゆき・・・。」

あった!さくら組!

涼香は浩之の名前を見つけ、さくら組へと急いだ。

教室では先生が入って来た子から一人づつ名札を胸につけてあげていた。

「おはようございます。お名前はなんですか?」

順番が来て先生が浩之に聞く。

浩之は涼香のスカートの影に隠れた。

「こら!浩之!お名前は?!答えなさい!!」

涼香が慌てる。

しかし浩之はますますスカートの影に隠れ、かたくなに出て来ようとしない。

「浩之ッ!」

つい、声を荒げる。

「あ、大丈夫ですよ。」

そんな涼香を教師は、やんわりと止めた。

年は20代後半といったところだろうか、ゆるいパーマのかかった髪を一つにまとめ、ブルーのスーツを着たなかなか理知的なかんじのする先生だった。

「恥ずかしいのかな?」

のぞき込むように浩之を見る。

「いしはらひろゆき君。そう?このお名前であってる?」

こくり、と浩之がうなずく。

「ほら、このバッチかわいいでしょう?ひろゆき君のお名前が書いてあるのよ。つけてみる?」

浩之は片目だけ、スカートの端からのぞかせ、困ったように先生をにらむ。

涼香は冷や汗が出そうだった。

「それじゃ、お母様につけて頂きましょうね。」

そういうと、先生は涼香を向き名札を手渡した。

「すみません、それではこの名札を左胸につけてあげて下さい。」

「あ・・、す、すみません!」

思い通りにならない浩之に慌て、どぎまぎしながら名札を受け取った。

いい加減にしなさいッッ!!

回りに誰もいなければそう怒鳴りたいところだった。

円形に並べられているイスに皆、親子で座っている。

涼香もそこへ座ろうと進む。

後ろから先生が次の子へ声をかけるのが聞こえてきた。

「おはようございます。お名前はなんですか?」

「かわだ まりです。」

かわいらしい返事も元気よく聞こえる。

「おはようございます。お名前はなんですか?」

「あおやま げんきですっ!!」

それなりに皆、答える。

涼香は腰をおろしながら、はぁ・・とこっそり溜息をついた。

お名前も答えられないなんて・・・。

ちらりと浩之を見る。

当の本人は全くどこ吹く風で、きょろきょろと回りを見回している。

「さ、浩之、名札をつけるわよ。」

気を取り直して名札をつけようとすると、浩之は手で胸を押さえくるりと背中を向けた。

「やだっ!!」

「浩之っ!」

思わずかっと頭に血がのぼる。

「おはようございます。」

その時、ふいに声をかけられた。

見上げると見覚えのあるストレートヘアの女性の顔があった。

「よかった。同じクラスになれましたね。」

にっこり笑う。

涼香の顔もあっと輝く。

「おはようございます。え・・と、佐伯さんでしたよね。」

「ええ。」

にっこり笑いながら涼香達の隣に腰をおろした。

「ヒロ君、入園おめでとう。覚えてるかな?」

 佐伯の娘の梨穂も人なつっこい様子で浩之の隣に座った。

 浩之も何となく嬉しそうにしている。二人は顔を見合わせふふふと笑った。

「ほら、見てヒロ君、りほのバッジ。素敵でしょう?さくら組だからピンク色なのよ。あれ?ヒロ君のバッジはどうしたの?」

 浩之ははっとする。

「あら、ヒロ君のも同じバッジなのね。じゃ、りほとお揃いでつけようか。」

浩之は素直に手を胸からおろした。

佐伯由比子は涼香からバッジを受け取ると手早く胸につける。

小さな胸に咲いた桜のバッジが誇らしそうだった。

涼香はほっと胸をなでおろした。

「ありがとうございます。もう、どうしようかと思っちゃって・・・。お名前も答えられないし、親の言うことなんて何も聞かないんですよ。」

「ふふ、皆そうですよ。」

皆そう・・・。

そんなことはない。大抵の子は元気よく名前くらい言っている。できないのは息子の浩之くらいのものだ。ましてや名札をつけるのが嫌だなんて。他にそんなことを嫌がる子なんていやしない。涼香はまた小さく溜息をついた。

「自分の子だけって思っちゃうんですよね。」

由比子に言い当てられ涼香は驚いた。

「私もそう思いますもの。」

涼香は更に驚く。

「そんな・・梨穂ちゃんこんないい子なのに・・・。」

「そう見えます?この子言い出したら聞かないの。お兄ちゃんとも対等にケンカするんですよ。上の子なんて入園式の日、隣に座った子とつかみあいのケンカ始めちゃって本当に恥ずかしかったわ。他のお子さんは皆お行儀よく座っているのに・・・。」

そんな話をさらりとする由比子を涼香は素敵な人だなと思った。

「なんでうちの子だけって本当に思いましたよ。自分の育て方が悪いんだって。でもね、ある時、同じクラスのお母さんに言われたんです。『活発な男の子らしいお子さんで羨ましいです。』って。」

由比子は思い出すようにクスリと笑う。

「びっくりしちゃった。羨ましいだなんて。そのお母さんのお子さんね、男の子だったんですけど、おっとりしたかんじのお子さんで、お母さんはかなりはっきりしたかんじの方だったし、ご自分のお子さん見ているとイライラしちゃうんですって。オモチャを取られても取られっぱなし、順番を横入りされてもされっぱなし。嫌なら嫌と言いなさいっていつも怒ってばかりいるっておっしゃってました。」

「へぇ・・・。」

涼香は興味深げに相槌をうつ。

「私はいつ、うちの子に乱暴された!なんて苦情がくるやら、とひやひやしてたから、そんなふうに言われて本当に驚きましたよ。

それでね、思ったんです。当たり前のことなんですけど、人それぞれ違うわけだし、それぞれの子にそれぞれの個性があって、いいところも悪いところも違っていて当然で、それは決して子どもの優劣じゃないんだなって。

それで少し自分の子どもを認められるようになったのかな・・・?」

「自分の子どもを認める?」

涼香が聞き返す。

「ええ、もちろん自分の子どもですから愛してましたよ。でも、それとは別に・・、なんというのか、自分とは違う個人なんだってことがわかったってことでしょうか・・・。」

「へぇ・・・」

涼香は改めて由比子を見た。

やっぱり素敵な人だ。そう思った。

こんな人と友達になれそうなのがとても嬉しかった。

大体、新入園児達がそろったようだ。

先生も皆の集まる方へ来ようとした時、もう一組の親子が教室に入ってきた。

「申し訳ございません。遅くなりまして・・・。」

動じる様子もなく微笑む女性も見て涼香の心臓はどきりと脈うった。

「池谷でございます。あ、これが名札ですね。はい、こちらでつけますので大丈夫です。」

あっちゃ〜・・・・。

心の中で思いっきりがっくりする。

大あたりか・・・・。

やっぱりこの親子と同じクラスなんだ。

思わず目を閉じる。

そんな涼香の様子を見て由比子が不思議そうに聞いた。

「どうかなさいました?お知り合いなんですか?」

「え?」

涼香は聞かれて驚く。

由比子は覚えていないのだろうか?

「ほら、あの方、覚えてらっしゃいませんか?幼稚園の見学会の時、うちの子と砂場でシャベルの取り合いをした・・・。」

ああ!と由比子の目が見開かれる。

「ありましたっけね。そんなこと。」

そう言われて再び涼香は驚く。

覚えていないのか?自分にとっては大事件だったのに。

でも、考えてみればその程度のことだったのに違いない。池谷という母親だって覚えているかどうかわからない。そんな程度の小さなできごとだったのだ。

涼香はふふ・・と笑った。

自分の子どもの成長に焦点をあてて見るのよね?綾子。

心の中でそうつぶやいた。

「お待たせ致しました。皆様、ご入園おめでとうございます。私、今日から一年間、さくら組の担任をさせて頂きます日比野理佐と申します。よろしくお願い致します。それでは早速ホールへ移動いたします。ホールでは在園児達が迎えますので、どうぞお子様と手をつないでご入場下さい。」

担任は慣れた様子で手早く指示を出しホールへと皆を誘導した。

浩之の手を引く涼香の後ろからひそひそ話しが聞こえてきた。

「ねぇ、日比野先生よ。どうする?」

「どうするもこうするもないわよ。日比野先生ってね・・・。」

更に声が小さくなり聞き取れない。

どういうことだろう?何の話だろう?

涼香はどきどきしながら聞き耳をたてた。

そんなどきどきもホールにつけば消し飛んだ。

ホールでは年中児、年長児達が拍手で迎えてくれる。

かわいらしいピアノの伴奏にあわせて新入園児達は入場し着席した。

年長児も年中児もかなりしっかりして見えた。

歌も上手に歌うし、先生達の小さな合図で立ったり座ったりする。

なにより母親がいなくても誰も泣く子もいないし、式の間、椅子に座っていられるではないか。

うちの息子も来年、再来年にはあんな風になっているのだろうか。

椅子の上に膝立ちし、ママ、ジュース飲みたい、と耳打ちしてくる息子をちらりと見た。

「皆さん、ご入園おめでとうございます。」

副園長の本間五郎が壇上で挨拶をする。

「きっと皆さんは明日からの園生活に期待と不安を抱いていらっしゃることと思います。母親と離れて泣かないだろうかとか、お友達ができるだろうかとか、うちの子供も来年になったらあんな風に年中児らしくなれるのだろうか、とか。

どうかご安心下さい。皆、きっと楽しい園生活が送れるようになります。きっとすばらしい年中さんに、そして2年後にはすばらしい年長さんになっておられることと思います。

どんなすばらしい年長さんへと成長するのでしょう?それは子ども達一人一人が実はもう決めているのです。子ども達はそれぞれすばらしい色を持っています。夕焼けのように赤い子、大空のように青い子、生い茂った木のように輝く緑の子、これから、それぞれの色をよりよく輝かせていくのです。

青い色を嫌って赤になりなさい、というのが教育ではありません。『お姉ちゃんはもっとはきはきしていたのに、あなたもお姉ちゃんのようになりなさい。』などと言って色を変えようとしても決してうまくいきません。

私達、大人にできることは、子ども達が持つかけがえないのないその色をより鮮やかに輝かせるようお手伝いすることなのです。」

本間の話は涼香の胸をうった。

さっき聞いた由比子の話と重ねあわされた。

浩之には浩之の色が・・・・。

それがどういう色なのかはまだわからないが、この幼稚園での3年間を見守っていこうと自分に言い聞かせた。