翔びたくて

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「翔びたくて・・・13」

「何でしょう?何でも聞いて下さい。」そう言って本間はさわやかな笑顔を見せた。

「あ、その」

突然のことに何と言っていいやら、涼香は慌てた。

「静粛のゲームについてお聞きしたいのです。」
由比子が言う。

「日常生活練習の第4グループとは、どんなグループですか?この前、石原さんに第1グループから第3グループまでは本間先生からお聞きしたお話しをしたのです。ええっと、第1グル?プは環境との出会いですか?第2グループは自分の命を大切にするという活動で、第3グループは他人の命を大切にするという活動なんでしたよね・・・?」

「おお、これはすごい。佐伯さん、よく覚えていらっしゃいますね。嬉しいなぁ。」

「ありが_とうございます。でも・・・、第4グループの説明がうまくできなくて・・・・」

へぇ、と本間は涼香に目をやる。

「石原さんも勉強熱心ですね。ありがたいなぁ。こんな風にご父兄の皆さんがモンテッソーリに興味を持って下さると。」

「本間先生、また以前のように母親向けのモンテッソーリの勉強会を開いて下さい。お願いします。」

本間はにっこり微笑んだ。

「日常生活の第4グループですね。」

二人はうんうんとうなずいた。

「石原さんと佐伯さんは、子ども達は静かな場所で静けさを楽しんだりすると思いますか?」

「え?子どもが静けさを楽しむのですか?!」

驚いて思わず涼香が声を上げる。そしてすぐにしまったと恥ずかしそうに口をつぐむ。

本間はゆっくり涼香に向って微笑んだ。

「そうです。子ども達が静けさを楽しむのです。どうですか?あると思いますか?」

これが試験か何かだったら、おそらく「ある」と答える方が賢明だろう。話の流れからしてそんな気がする。しかし、子どもが・・・、この浩之のようにうるさいだけの子どもが静けさを楽しむだなんて・・・、想像すらできない。

絶句した。

「浩之君は元気なお子さんですからね。石原さん、あり得ないと思うでしょう?顔に書いてありますよ。」

本間にからかわれるようにそう言われて思わず顔を赤らめる。

「大人はどうでしょうか?石原さんや佐伯さんは静けさを楽しんだりしますか?」

「そうですね。うちも子ども達がうるさいので、『ちょっと静かにしてよ!!テレビが聞こえないわ』なんてことはありますけど・・・。う〜ん、“楽しむ”ですか?どうでしょうか・・?子ども達が寝静まって静かになるとほっとしたりとかはありますけどね。」

由比子が答え、涼香はうんうんとうなずく。

「そうですか。ではちょっとやってみませんか?静粛のゲーム。」

「え?今、ここでですか?」

またまた涼香が素っ頓狂な声をあげ、しまったと思う。

「あ!あの、はい、やってみます。」

慌てて付け加えた。

「では、今、ここでそっと目をつぶってみて下さい。立っているのが大変でしたらそちらのベンチに腰掛けましょうか。大丈夫。子ども達は私がみています。」

浩之と里穂は二人でじゃれあって遊んでいる。

涼香と由比子はうながされるままにベンチに座った。

「では、目をゆっくり・・・閉じてみて下さい。」

何が起きるのかしら?少々不安を覚えながらも二人は目を閉じた。

閉じたまま、本間は何も言わない。

どういうことなのだろう・・・?どうすればいいのだろう?焦りだしたその時、本間の声がした。

「ゆっくり・・・、リラックスして下さい。肩の力を抜いて。」

リラックス、リラックス・・・、そうできるよう努力してみる。

うふふ、あはは、と笑う浩之と里穂の声が遠ざかって行く。園庭の隅の方に走っていっているようだ。

「どんな・・・音が聞こえますか?」

囁くような本間の声。

そしてまた沈黙。

「遠―くの音を聞いてみて下さい。園庭の端っこからする音・・・、幼稚園の外から聞こえる音、もっと、もっと、もっと・・・ずーーーーっと遠くの音。」

浩之達の声。

ブーッと自動車が通り過ぎる音。

あ・・・、すずめの声・・・・。今した。

それから・・・それから・・・・。

あ・・・・、国道の自動車の音じゃないかしら・・・・。

涼香は神経を研ぎ澄ましていった。

「はい、ではゆっくり・・・、目を開けて下さい。」

本間の声が再びする。

どのくらい、目を閉じていただろうか。

10分くらい?随分長い時間に感じられた。

「どうでしたか?今、これで2分くらいですね。」

「え?!」

涼香がまたもや驚きの声を上げる。

本間が微笑む。

「もっと、長く感じましたか?」

「はい・・。10分くらいかと思っていました。」

隣で由比子もうんうんとうなずく。

「10分くらいできそうですか?」

「そうですね。最初は何が起きるのか少しどきどきしていましたが、慣れてきたらゆったりした気持ちになれました。10分くらいならいけるかも・・・。特に遠くの音を聞くように言われて・・・。そんなことしたことなかったので、結構集中できたんです。それが楽しいというか・・・、気持ちよかった気がします。」

由比子がはきはきと答えた。 

「そうですか。」

本間がうなずく。

「石原さんはどうですか?どんな音が聞こえましたか?」

「え?あ・・あの、子ども達の声や、鳥の声・・・。あと、国道の自動車の音が聞こえた気がします。ちょっとここから離れてますが・・・。」

「国道の音、それはすごいですね。どうですか?また、やってみたいと思いますか?もっと遠くの音を聞けるでしょうか?」

「聞けるかどうかはわかりませんが、やってみたいです!どこまで遠くの音って聞こえるのでしょうか?ためしてみたいです。」

「これが静粛のゲームです。」

本間が言った。

「厳密にはこれだけではありませんが、第4グループの説明のため、今、このゲームを体験してもらいました。」

子ども達はこの活動が大好きですよ、と本間は付け加えた。

「遠くの音を聞いたり、やってみたいなら、聞くということもやめてみてもいい。とにかく、頭の先からつま先まで、全ての動きを止めるのです。そして静けさに身を浸すのです。

どうですか?静けさを楽しめましたか?」

楽しむ・・・、どうだろう・・・?

楽しんだか、と問われるとどう答えたものか、考えてしまう。本当に自分は楽しんだのだろうか?

「うーん、そうですね。今、楽しめたかどうかはわかりません。初めてのことで、どうしたらいいのかわからずにおりましたから。でも、慣れてきて、積極的に静けさを楽しもうとしたら、きっとできると思います。

と、いうより、時々こんな風にただじっくり静けさに身をおくっていうの、なんだかすごくいいような気がします。本当の意味でリラックスできて、リフレッシュできるような・・・。」

由比子が涼香の思っていたことをそのまま代弁してくれる。

「石原さんはどうですか?」

本間が涼香にふる。

「え・・、ええ。そうですね。私もそう思います。今は『何が起きるんだろう?』とか『リラックスしなきゃ!』とか、雑念が入ってたような・・。」

「雑念ですか!」

本間が笑い出した。

し、しまった!と涼香の顔がこわばる。

「いや、失礼。でも、とてもいいぴったりのことばなんです。雑念。」

本間は再び静かに微笑む。

「あ!そうよね。確かに座禅に似ているようなかんじよね!」

由比子が気が付いたといったように話す。

「そうですね。確かにそうかもしれません。

子ども達はこうして静けさの中に身を浸し、リラックスすることによって、深く内省したり、熟考したり、できるようになってくるのです。真から落ち着いたゆったりした気持ちになることから、心に平和や余裕を取り戻すことができます。時にはこの広い世界の中にぽつりとある自分自身の存在を感じることができるかもしれませんし、時にはその大自然、宇宙とつながる自分を感じることもできるかもしれない。」

二人は黙って本間の話しに耳を傾けた。

「第1グループは環境への配慮、第2グループは自己自身への配慮、第3グループは社会への適応。これら、今までの3つのグループは全て自分の意思どおりに自分の身体をコントロールし、動かす、というものでした。

自分が物を正しく扱えるように、自分の命を大切にできるように、他人の命を大切にできるように、それらのために自分の身体を意思どおりに動かす練習が日常生活練習の第1から第3グループまでの内容です。

 それに対して第4グループはそれら3つのグループの集大成ともいえるようなものなのです。今までそうやって身体を動かす練習をしてきた子ども達がその動きを、つまり、身体のコントロールを完成させるためのグループです。

 第4グループで子ども達は初めて、“自分の意思で身体の動きを止める”という活動を行なうのです。

 身体を動かすということは、ある意味、その一部分に精神が集中していればいいわけです。例えば、上手にミルクをコップにあけ移すのならば、そのピッチャーを持つ手に集中すればいいわけですが、逆に全身の動きを止めるとなると、頭の先からつま先まで、全身全てに神経をいきわたらせなければできません。

 人を叩いたりしてはいけないのはわかっているけど、ついやってしまうとか、盗んではいけないのはわかっているけど、つい盗んでしまうとか、そうではなくて、自分でこれはいけないとか、こうしたいとか思ったなら、その自らの意思どおりにからだをコントロールできるようになっていくための活動です。

この第4グループで子どもは自分の精神と肉体の一致をさせるのです。

 本当の品性を身に付け、深い内省や熟考を習慣づけ、真の落ち着いた平和な、そして意志の強い大人へと成長するための活動です。

 このことこそが日常生活練習すべての活動の目標であり、目的なのです。」

帰り道、駐車場までの道のり、涼香と由比子は無口だった。

二人とも本間の話しを深く考えていた。

「ねぇ、本間先生の話し、よくわかった?」

駐車場に入り、初めて由比子が口を開いた。

「う・・・ん・・・。」

考え考え、相槌をうつ。

不思議な話しだった。

ともすればキツネにつままれたような・・・。

息子が、本間の話すような人格者へと本当に成長していくのだろうか?

そのための日常生活、そのための第4グループ、しかし、現に浩之はその静粛のゲームが好きだという。このうるさいだけだと思っていた息子が・・・。

本間の話しをはっきりとよくわかったとまでいう自信はなかったが、それでも、これだけはよくわかった。今日、とんでもなく大事な、そして素晴らしい話しを聞いたのだということだけは・・・。